内蒙古自治区シリンゴル盟は北京に最も近い内蒙古の大草原で、その最南端は北京からわずか178キロしか離れていません。盟の中心の町?シリンホト市は北京の真北約500キロにあり、高速道路だと6、7時間で着きます。 シリンゴルはモンゴル語では、「丘陵地帯にある河川」という意味だそうです。シリンゴル盟は日本の市町村ランクにあたるとは言え、総面積が20.3万平方キロルで、日本の国土面積の半分以上の広さになります。ちなみに、20万平方キロのうち、18万平方キロメートルは牧草地帯が占めています。 ところで、北京の人にとっては、シリンゴルは色んな意味で注目されているところです。先ずは、すぐに連想するのは、広々とした美しい大草原。次は、羊肉や牛肉がおいしいというイメージ。しかし、一方で、北京の春の悩みである砂嵐、黄砂の源は、シリンゴル南部にある砂漠化した草原だと言われています。ここの生態環境や気候は北京、天津だけでなく、海を越えて、日本にまで影響を及ぼしかねません。 さて、話がもどりますが、長い間、牧畜業に専念していたシリンゴルは、ここ5年の間に、経済発展のモデルを変え、産業発展の重点を牧畜業から工業に移行する政策に乗り出しました。シリンゴル盟発展改革委員会の霍錦炳副主任は、ここ数年のシリンゴルの急成長をこう振り返りました。 「シリンゴルのGDPは2002年は80億元だったが、2005年に169億元を突破した。そして今年2007年には、GDPは271億元に達し、2008年には2002年の4倍増を実現できる見込みだ。2007年の一人当たりの可処分所得は、町では1万元、牧畜地区では3820元になり、2002年のほぼ倍になった。」 霍副主任は経済の急成長を促したのは、「第二次産業にあり、過去5年間、第二次産業の伸び率は年平均38.6%に達していた」と語りました。 こうした急速な工業の発展は、生態環境に悪い影響を及ぼすのではないかと心配になりますが、地元の指導者たちからは「工業の発展が草原を守る事に役立っている」という答えが返ってきました。 「変化は2002年頃から徐々に起きてきた。その前の年まで、シリンゴルは三年連続して深刻な旱魃に襲われ、牧草地が後退し、砂漠化が進み、牧畜民の生活は急速に苦しくなった。」 1990年代の末まで、牧畜業はシリンゴルの唯一の基幹産業として、シリンゴル盟の財政を支えてきました。牧畜民の平均所得も、当時の全国農村の平均よりも千元上回っていました。シリンホト市内を散策すれば、今でも、当時の輝きを物語る彫刻を見ることが出来ます。1989年に、シリンゴル盟の家畜が1千万頭に達した記念碑です。 しかし、数の増加で所得を増やすという量的な成長方式は、やがて大きな危機に陥りました。1984年から1990年代の末までの間に、シリンゴルの人口は2倍に増え、家畜は3倍に増えました。その結果として、草原での過放牧が深刻になり、砂漠化拡大の原因を作り出しました。 「このまま、旧来どおりの生産方式を継続していけば、草原はもうもたない」、シリンゴルの人々は問題が深刻であることを認識しました。 しかし、解決の糸口はどこにあるのでしょうか。発展の先端を歩んでいる内蒙古自治区内の他の地域を研究、考察することからスタートしました。共通する答えは、工業でした。シリンゴルの地下には、豊富な石炭を初め、百種類近い鉱石が見つかりました。こうして、地域の資源を生かした産業発展計画が練られ、外部資本の導入に乗り出しました。 |