外国人から見れば、非常に「ニューヨーク」のようだが、中国人から見れば、発展して「ニューヨーク」になりたいと懸命になっている都市である。 シティバンク中国地区最高経営責任者のリチャード?スタンレー氏は毎日、上海の陸家嘴にある同銀行本部のオフィスへと急ぐ。 中国の財政経済関連メディアへのスタンレー氏の“暴露率”は非常に高く、外資銀行や国の金融政策に何か“風が吹き、草がたなびく”ことがあれば、メディアからの受話器が必ず時宜を逸することなくスタンレー氏の口元に伸びてくる。 だがスタンレー氏本人は、その暴露率に憧れる者がいることをまったく知らない。李小林さんもその1人。2年前に大学を卒業した後、北京から上海に仕事にきた若者だ。スタンレー氏が奮闘目標だという。 彼は用事がなければ決まって陸家嘴を歩き回る。友人が来れば、高層ビルが林立し、金融機関が軒を並べるこの一帯を案内する。彼の夢は、いつかこの高層ビルで仕事をすることだ。大学では金融管理を学び、現在、ある企業でセールスマンをしている。 「陸家嘴を見ていると、眼の前に束になったドル札が揺れ動いているようだ。マネーの誘惑を感じる」。彼に限らず、この誘惑に多くの豊かな者、貧しい者が憧れている。 上海を選択 「上海はニューヨークのようだ」。上海とニューヨークに行ったことのあるアメリカ人の多くの印象だ。 主観的な印象であっても、客観的にも相似するところがある。上海は中国の東部、ニューヨークも米国の東部に位置し、高層ビルが林立し、米国の経済と金融の中心。上海もあちこちに高層ビルが立ち並ぶ、中国の経済と金融の中心だ。 ニューヨークを好むのと同様、金融機関や投資家も上海を選択している。シティバンクやバンク?オブ?アメリカ、スイス銀行など、世界の金融大手を含む約300の外国金融機関が、相次いで中国地区本部や支店を設立している。 先ごろ、上海香港銀行(SHBC)とスタンダード?チャータード銀行、東亜銀行、シティバンクの4行が中国法人を設立、上海に居を構えた。 シティバンクは米国の銀行として中国で初めて業務を開始した。1902年5月15日、前身のインターナショナル?バンキング?コーポレーションが上海支店を開設。アジア初の営業拠点となったが、第2次世界大戦で業務を停止し、1985年に45年ぶりに中国で業務を再開した。 「上海は中国の金融センターであり、しかも国際化された都市で開放度も高い。中国に参入しようと思えば、上海は最適な選択だ」。スタンレー氏は、本部を上海に選んで理由についてこう語った。 国内金融機関も上海を選択している。中国人民銀行が管理本部を設立したことで、上海の金融面での地位は一段と突出した。現在、内外の金融機関は700余りにのぼる。上海にはすでに資本や通貨、外国為替、商品や金融先物、金や知的財産権取引、再保険市場を主体にした現代的な金融市場システムが確立されている。敷地面積32平方キロの陸家嘴金融街は中国の「ウォール街」とも言えるだろう。 中国で金融を学んだ大卒の多くも上海を選択している。李さんの同級生では、36人のうち20人が上海で仕事をし、彼と同じように仕事を辞めて上海に来る若者も少なくない。「上海の誘惑は非常に大きい」と李さん。現在、金融機関で働く従業員はおよそ16万人、100人に1人が従事している計算だ。 上海市政府金融弁公室の方星海副主任は「上海の金融都市として必要な施設は絶えず近代化、完備されている」と強調する。 |