▽ 香港っ子でも迷子に~アパート管理員の廖永基さん 「香港の変化はとても速い。私は毎日香港の新しさを感じて暮らしているよ」 香港育ちの廖永基さん(63)は、香港島の柴湾に住み、ハッピーバレーにあるアパートの管理員を務めている。柴湾からハッピーバレーへは、路面電車と地下鉄で通う。毎日1時間半の通勤時間には、香港の変化に感慨を深めているという。 「私は香港っ子だけど、今ではたまに迷子になる。古い記憶にはない場所も多いし、新しい建物がどんどん建つ」と話す廖さんは、路面電車に乗るとき、できるだけ窓側に座る。香港の街では毎日何か新しい発見があるからだ。 廖さんは「返還前後、多くの人が香港の前途に不安を感じ、国外に移民する人も少なくなかった。今の香港の発展ぶりに、彼らは相次いで戻ってきている」と指摘する。廖さんは香港の魅力に誇りを持っている。 ▽ 普通話学習ブーム~香港理工大学の何冠環教授 何冠環教授と初対面した際、滑らかな普通話(中国標準語)に驚かされた。香港でこれだけ普通話が上手な人はそれほど多くない。 何教授は「高齢の香港人はだいたい普通話を話せない。彼らは植民地統治下での生活が長かったからだ。当時の英国植民地政府にとって、普通話は重要ではなかった」と指摘した。 香港返還後、香港理工大学通識教育中心(教養教育センター)に勤務する何教授にとってもっとも印象深いのは、本土の大学との学術交流機会が大幅に増えたことだ。「北京大、復旦大、武漢大などに行ったことがある」と、何教授は大学名を指折り数える。これだけ多くの著名大学を訪れたことは、普通話の学習に好都合だったという。 何教授は「大陸に頻繁に出掛けるので、学生たちの普通話の会話能力は大幅にアップした。学生たちだけでなく、各階層の香港人はみんな普通話の学習に熱心だ。10年後には普通話が香港でどこでも通じる言語になる」と展望を語った。 ▽ ゆとりある環境は不変~香港折り紙学会の陳超穎会長 「過去10年間、香港は各方面で変化が大きかったが、一般市民の個性発展環境に変化はなかった」 香港折り紙学会の陳超穎会長からは、「香港は10年間で何が変わったか」との質問に意外な答えが返ってきた。 陳会長は「香港は1つの大舞台のようなもの。みんなに発表機会がある。ここでは伝統紙芸と現代のストリートダンスが競演し、それぞれ若者の目を奪う。香港文化はこのように開放的で包容力ある」と話す。 子供のころから折り紙に親しんだ陳会長は、折り紙芸術をライフワークにできた理由は、香港のゆとりある環境にあると説明する。陳会長は現在、多くの大学に兼任教授として招かれたり、テレビ局の特集番組に登場したりするなど、折り紙芸術の道がさらに広がっている。 「人民網日本語版」2007年6月27日 |