2007上海夏季スペシャルオリンピックの「希望の火」が、22日、東京に到着する。そして、点火式典が東京都庁の広場で催されることになり、日本の知的障害者4人が地元の責任者の付き添いのもとで、東京の市街で1キロのトーチリレーを行うことになった。 このほど、人民中国雑誌社東京支局員が、スペシャルオリンピック日本理事長の三井嬉子さんやトーチリレーに参加する岩淵雄平選手にインタビューした。 三井嬉子理事長: 日本にとって、スペシャルオリンピックは今年の最大規模のスポーツイベント 13年間にわたって、スペシャルオリンピックの仕事に携わってきた三井嬉子理事長 さまざまなメダル及び証書を見せてくれる三井嬉子理事長 三井嬉子理事長のオフィスには、非常に人目を引くポスターが2枚張られていた。1枚は試合に参加したスペシャルオリンピック選手4人の記念写真、もう一枚は花束を捧げ、メダルと幸せな微笑みをたたえた選手の写真である。となりのとだなには、さまざまなスペシャルオリンピックのメダル及び証書がたくさん並べられていた。 三井嬉子理事長によると、今回のトーチリレーの準備のため、各方面の関係者が綿密に手配し、警察庁、消防庁、警視庁などからボランティア130人を選出し、リレー選手4人に東京都庁の広場から新宿駅まで付き添うことになった。今年10月、日本は知的障害者122人を、2007年上海夏季スペシャルオリンピックに参加させることになり、これは日本にとって、参加者数が最も多いスペシャルオリンピックで、日本の今年の最大規模のスポーツイベントでもある。「これらの普通のそんなに関心を集めることのない人々にとって、これは最も大切なことである」、と三井嬉子理事長は語っている。選手たちが円滑に試合に参加するため、彼らは合宿トレーニング2回を行い、選手たちの独立した生活能力及び社会に順応する能力を育てることにしている。 岩淵雄平選手:終点に到着できるのはハッピーである 2007上海夏季スペシャルオリンピックトーチリレーの選手岩淵雄平さんが練習しながら、「がんばるんだ」と自分を励まし続けた。 お母さんの手助けで、トーチを持つ練習をする岩淵雄平選手 今日のトーチリレーで、岩淵雄平選手はトーチのトップランナーである。 岩淵雄平さんは千葉県生まれで、生まれた時から知的障害者で、現在シンプルな言葉の表現はできる。中学校の時、お母さんの助けのもとに、雄平さんは知的障害者向けのスポーツ活動に参加し、ジョギングをしたり、サッカーをしたり、週に一回、一回2時間、雄平さんはだんだんコーチや仲間たちとの交流になじみ、お母さんに喜びをもたらしてくれるようになった。 数年のトレーニングを経て、現在の雄平さんはすでに2キロぐらい走り続けることができ、昨年、千葉県で開かれた駅伝競走で10番というすばらしい成績をあげた。「走っている時の感じはどうですか」と聞かれると、「疲れました。汗びっしょりでした」と言いながら、雄平さんは疲れた様子を示した。しかし、「拍手してくれる人がいるし、がんばってと励ましてくれる人がいるので、途中でやめることはできなかった」と雄平さんは語った。終点に到着したときの感じをたずねられると、「ハッピーでした」と雄平さんはきっぱりと答えた。 「チャイナネット」2007年8月22日 |