経済のグローバル化は慌ただしく進み、すでにその趨勢は定まったように見える。それでは、文化はグローバル化が可能、あるいはその必要があるのだろうか。これは人類の生存方式に関わる選択であり、われわれの冷静な判断を要する問題だ。(袁行霈?北京大学中文系教授) 経済のグローバル化は、各国の経済交流を促進し、ある程度、各民族の文化的差異を減らし、人類の生存方式を画一化に向かわせることも間違いない。だが、民族の文化的伝統は、数千年、あるいはそれ以上にわたって蓄積されてきたものだ。文化は民族の魂と尊厳であり、自らを他の民族と見分けるための標識だ。世界の各民族が長い歳月をかけて形成してきた、千差万別の文化を単一化することなど想像できないし、われわれは、多様性を失った単調な文化など目にしたくはない。 したがってわたしは、「グローバル化」や「グローバル化時代」を漠然と叫ぶべきではなく、グローバル化に対して分析を加えるべきだと主張する。経済においては、グローバル化は大きな趨勢だ。科学技術においては、人類の生活を便利にする進んだ科学技術は、さらに容易に全世界に広まっていく。しかし精神面においては、宗教信仰、民族心理、生活習俗、思考方法、言語習慣などに関わってくることから、強大な経済力や軍事力を背景に、ある文化を他者に無理強いすることなど、不可能だし、賢明でもない。 われわれは、異なる文明間の隔たりは、普遍的で深いものだということを、はっきりと見ている。自分を中心に形成されたさまざまな偏見は、人々の知恵を遮り、実際の利害関係は良知を惑わす。さらに言葉の壁が加わるため、異なる文明間では、互いを理解し尊重することでさえ容易でないし、互いに寛容になり、受け入れるとなると、さらに困難だ。人類はすでに宇宙飛行を実現したというのに、なぜ、さまざまな狭隘なこだわりや、極端な考えを捨てて、広い心で文明間の差異に対処することができないのだろうか。なぜ、平等を基礎に文明間の対話と交流を行うことができないのだろうか。 現在の世界では、孤立した民族文化は自存が困難だ。単一のグローバル文化も想像できない。異なる文化が共同発展?共同繁栄という目標の実現を期するには、開明で開かれた態度をもって、互いに寛容になり、平和で調和的に接するしかない。経済のグローバル化と文化の多元化こそ、21世紀の人類の生存方式に対する正しい選択だ。 「人民網日本語版」2006年11月9日 |