四川省蒲江県で蜀の時代のものと思われる「船棺葬」が発見された。考古学者がこのほど数トンもある船棺の蓋を開けたところ、数百点もの副葬品が出土。数の多さで前代未聞という。 船棺葬は同県鶴山鎮飛龍村の工事現場の地下1.5メートルのところで見つかった。考古学者は、被埋葬者は身分の高い古代蜀の国の貴族ではないかと話す。船棺葬とは2000年余り前の戦国時代、巴や蜀の一帯で特有の埋葬法。これまで発見された例は極めて少ない。 成都市文物考古研究所の蒋成副所長によると、船棺は長さ約7メートル、直径1.6メートルの巨木を切り抜いて作られていた。棺の室内は長さ4.2メートル、幅1.1メートル。蓋に方形ののぞき穴が穿たれていたため、室内に大量の泥が堆積していた。泥を払うと、数百点にのぼる銅器や漆器、陶器、木器などが出土した。 蒋副所長によると、副葬品は棺後方部では主に陶器、多くは前方部に集中していた。なかでも「三耳黒陶豆」は副葬専用の器物で、四川一帯で見つかったのは初めて。楚の文化的特徴を備えたこの器物は、当時、四川が湖北や湖南などと文化交流があったことを物語る。同様に楚文化の特徴を持つ「銅敦」と呼ばれる酒器も出土した。 「驚かされるのは、数点の漆器が出てきたことだ」。蒋副所長は「漆器には『木胎』と『竹胎』の2種類があり、色鮮やかで非常に精美である。戦国時代、漆器は身分の尊い貴族しか使用えない高級品。製作に10以上のプロセスが必要で、非常に貴重だったために当時、その価値は青銅器に匹敵していた」と話す。 船棺内からはこのほかに、銅矛や銅刀、銅鈴、銅剣などの青銅器や、古代の長型兵器「柲」の木製の柄が大量に見つかった。 また、大量の植物の種子やくるみも出土。蒋副所長は「古代人が埋葬する際、植物種子とくるみを棺内に入れたのは、死者が別の世界でも衣食十分であるよう願ったからだ」と説明する。植物学者に比較鑑定を依頼した結果、小麦や水稲などの種子であることが判明した。 同研究所の劉雨茂主任は「船棺葬は先秦時代の巴、蜀一帯で特有の埋葬方式で、出土した文物は巴蜀文化や周辺地域との交流を研究する上で非常に重要な価値がある」と話す。 「チャイナネット」2006年12月13日 |