寧夏回族自治区固原市原州区南郊郷では、天険を一変する光景が繰り広げられている。高山と大峡谷が連なり、交通不便で宋代の古要塞が遺留されているこの地に、自治区の区都銀川市から湖北省の省都武漢市に至る高速道路を建設中なのである。 銀(川)武(漢)高速道路が寧夏全域を貫通し、中国最貧困地区の一つである西海固地区を通過して甘粛に向けての延長工事を施工中である。全長1460㎞の銀武高速道路は、中国西北地区と中東地区を連絡する長江の重要な幹線道路である。 1000余年前には、強大化しつつあった西夏が北宋の国境を不断に侵略していた。高山峡谷の蕭関古道(現在の固原市)は自然の要害として北宋、西夏を隔てる屏風となり、997年には鎮戎軍城、咸平元年(998年)には開元堡、1097年には現在の黄鐸懐堡古城である要塞が築かれ、100余年間に北は蕭関から南は瓦亭にいたる一帯に数十座の大小要塞が築かれて縦深構造の防御システムが施されていた。「宋の堡寨」の名は「秦の長城」と同様に史書の軍事施設として記載されている。 南郊郷に属する西海固地区は中国最貧困地区の一つで、国連食糧農業機関(FAO)により「最不適人類居住地」として確定されており、西海固地区の総人口200余万の中の20余万人が未だに絶対貧困人口として取り残されている。 この封鎖状態にあった地区に鉄道、高速道路が相次いで開通し、陝西、甘粛、寧夏の交通動脈と連絡することになったので、該地区の脱貧困に希望の光が差し込んでいる。 「チャイナネット」2006/03/16 |