青山関長城
時間:2012-11-14 17:26作者:中国旅行玄人閲覧数:
青山関長城は遷西県の北部に位置して、遷西県より40キロ、燕山の支脈に位置して、明万歴十二年に建て、南北には門を設立、城門を上がると、遠望すれば中国昔のお金の「元宝」の形をしているので、「元宝城」と称されます。
遷西県の内に位置している長城は明代に薊鎮に管轄されて、京師より近くて、長城の戦略中心に位置して、万里の長城の建築の中には一番堅固、雄偉の鎮となって、かつて薊鎮の総兵の所在地です。乾慶二年(紀元1568年)、薊鎮総兵である戚継光は青山関を修繕しました。八面峰は唐山には最高峰、海抜842M。このほかには建築の特別の監獄楼、外観特別の七十二券楼があります。
山海関は天下の第一の関所、青山関は水門が万里長城の第一門です。今までは長城沿路に完璧に保存される「提拉式」水門です。四百年の戦争の洗練、地震の震動、洪水、黄砂の浸食を経ても今尚立っています。
青山関古城堡はよく保存されていて、扁額には明万歴十二年(1574年)十月に刻まれてある“青山関”が今尚はっきりしています。
青山関水門
水門、また水関と言われて、明万歴十二年に建て、崖を基礎として、レンガ造り、幅4メートル、資料の記録によれば、元に水門には銅製の門がついて、重さ500キロ、平日は閉めて、水を溜めるわけで、敵の侵犯があれば、水を流せて止めさせます。清光緒三十年に、山津波が急に起こって、銅製の制動機が洪水に山の下にある河床に押し流されてそこに埋まれてしまっています。このほかには水門は排水、立ち入り禁止の作用も効いています。この水門は万里の長城にただ一つ保存されている水門、非常に研究の作用を持っています。水門、また水関と言われて、水門からの水は小青河へ注いでいきます。