新疆ウイグル族お祭り

時間:2016-12-27 16:51作者:z閲覧数:

新疆ウイグル族ウイグル族は中国史書により西暦三世紀に中国の北方と西北のバイカル湖(貝加爾湖)の南、エルティシ川(額爾齊斯河)の辺に遊牧する民族である。部落戦争の影響があった為に各の部落の少人数は西域(今の新疆)に移りつつあった。ウイグル族は韋紇、烏紇、袁紇、迴紇、畏兀児などの呼び名があり、後はウイグルに改称されて今まで使用している。ウイグル族は複数の民族から構成された民族であり、主な出所が2つの民族があり、モンゴル草原からの回紇人、もう一つは新疆ウイグル自治区南部からの原住民である。二箇所の民族は西暦840年に合流し、16世紀初期に元の民族がそれぞれの特性を失いつつ,一つの共同体に融合し終わりウイグル族になる。
ウイグルはウイグル族の自称であり、連合の意味であり、ウイグル族は大分が新疆ウイグル自治区天山の南にあるカシュガル、ホータンの辺りと阿克蘇(アクス)、庫爾勒(コルラ)地方に分布して、一部が天山の北にあるウルムチ、イリ(伊犁)などの地方に集まり、少人数は湖南桃源、常徳及び河南開封、鄭州に住む。

ウイグル族開斎節、肉孜節(断食明け祭り)--十月一日

回族暦法の九月一日から十月一日までは忌み月であり、開斎節は肉孜節、拉瑪丹節とも称されて、中国の回族、ウイグル族、カザフ族などのイスラム教を信仰する少数民族の祝日であり、一ヶ月の断食が終わり、祝う日である。
イスラム教の暦法により毎年の九月は忌み月であり、大人のイスラム教徒は毎日の暁から日没まで飲食、ねやごとなどを禁止される。断食の29日目の夕方、新月があれば次の日が開斎節であり、新月がなければ一日が延ばして計30日になって翌日が開斎節である。
断食明け祭りでは暁に食事したり、断食明けの意味であり、歯を磨いたり、沐浴したり、焼香したり、立派な衣装を着装したり、小さい声で念仏したりする。これが漢族のかまどを祭る日(師走12月23日或いは24日)と同じで、70日後の古尓邦節がウイグルのお正月である。

ウイグル族古尓邦節(犠牲祭、イード・アル・アドハ-)--西暦9月23日と9月24日
古尓邦節、開斎節、聖記はイスラム教の三大宗教の祝日である。
中国の古尓邦節は2015年に西暦9月24日に定められて、世界の古尓邦節は国連に9月23日に定められる。漢民族のお正月と同じく、お祭りのブームが盛んになる。
お祭りの日はウイグル族が色々な用意して、特に犠牲する家畜を用意する。お祭りの朝は全身を水で洗って(グスル)、後は綺麗な民族衣装を着装してモスク(清真寺)へ礼拝してから墓場で亡くなる先祖の為に祈祷して最後はお墓参りする。
風俗により、お祭りの礼拝の後の朝は犠牲祭の最高時間で、イスラム教の神のアラ-を喜ばせる最高タイミングである。通常に犠牲祭の家畜をお鍋に入れてから男性らは互いに祝って、女性らは家の中にお肉を煮て、お祭りの食品、お茶などを用意してお客さんを迎える。お祭りの初日に、最近に喪葬があった隣、親戚を尋ねて慰めたり夫婦は両方の年長の方に拝んだり、近所と年長の方に拝んだりする。ほかのイベントは男女が分けて行って、ウイグル族の風習により、男女が一緒に礼拝するのが許可されない。祝ってから同世代の親友が互いに祝う。

諾魯孜節--3月20日、3日間~15日間ウイグル族諾魯孜節諾魯孜節は今まで3千年の歴史を持ち、柯爾克孜(キルギス)族、哈薩克(カザフ)族、維吾爾(ウイグル)族、塔吉克(タジク)族、塔塔爾(タタール)族、烏孜別克(ウズベク)族などの伝統的祭日である。一般的に3日間から15日間まで続いて、漢民族の春節と同じぐらいである。
諾魯孜節の祝日のイベントは20日の暁から開始して、老若男女は綺麗な民族衣装を着装して各家の一家の長は先ず起きて家屋の中央で松の枝を燃え上がって、枝から出る煙を人の頭に回旋して、来年に平安、楽と祈る。それから家長は煙が出る松の枝を畜舎の入口まで持って行って、家畜を煙に通らせて来年に家畜が肥えて早く繁殖すると祈る。諾魯孜ご飯の作りも祝日の欠けない内容である。当日の昼ごろからウイグル族は互いに新年の挨拶する。お祭りが終わりの時、春の田畑を耕す時期が始まる。
諾魯孜節は2009年人類無形文化遺産に登録される。