巍山(巍宝山、清真寺)
巍山古城 景観保存地域となっている
巍山は古くから“巍宝山”“邪竜”、“蒙化”とも呼ばれている。
雲南省大理白族自治州、洱海の南、大理より54キロ離れているところである。面積2200平方キロ。県より南東に13キロ離れている。海抜2550M。
南詔・大理の発祥地。明・清時代に道教は盛んだったところで、山の上には多くの道教に繋がれる遺跡がある。
巍山県城文化鎮は、巍山彝族回族自治県の政治、経済、文化の中心となっている。
巍山の町から東南13kmの地にある海抜2550mの巍宝山(古称:巍山)が、南詔王国の始祖・細奴羅の耕牧の地と言われている。南詔蒙氏は蒙舎詔として建詔後、その実力を蓄え、やがて4代・皮羅閣の代に至り、大理盆地内の白蛮対抗勢力を打倒し、他の五詔をも併合。737年唐朝より雲南王に冊立され、翌738年、太和城(現在の大理太和村)に遷都し、南詔国を建立した。その後5代・6代王の治世時に、南詔は唐と吐蕃の支配下からも脱し、名実ともに独立を果たし王権を確立する。
巍山は古くから“巍宝山”“邪竜”、“蒙化”とも呼ばれている。
雲南省大理白族自治州、洱海の南、大理より54キロ離れているところである。面積2200平方キロ。県より南東に13キロ離れている。海抜2550M。
南詔・大理の発祥地。明・清時代に道教は盛んだったところで、山の上には多くの道教に繋がれる遺跡がある。
巍山県城文化鎮は、巍山彝族回族自治県の政治、経済、文化の中心となっている。
巍山の町から東南13kmの地にある海抜2550mの巍宝山(古称:巍山)が、南詔王国の始祖・細奴羅の耕牧の地と言われている。南詔蒙氏は蒙舎詔として建詔後、その実力を蓄え、やがて4代・皮羅閣の代に至り、大理盆地内の白蛮対抗勢力を打倒し、他の五詔をも併合。737年唐朝より雲南王に冊立され、翌738年、太和城(現在の大理太和村)に遷都し、南詔国を建立した。その後5代・6代王の治世時に、南詔は唐と吐蕃の支配下からも脱し、名実ともに独立を果たし王権を確立する。
中国語名:
巍山(巍宝山、清真寺)(wēi shān wēi bǎo shān qīng zhēn sì)中国語名の読み方:
ウェイ シャン ウェイ バオ シャン チン ジェン スー英語名:
Weishan With Visit Of The Old Town And Mosques
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