須弥山石窟

須弥山石窟は、約1400年の歴史を持つ芸術の宝庫である。 主要な窟は北魏、北周、唐代のものである。
大仏楼、子孫小宮、円光寺、相国寺、桜花洞のなど五区に分かれ、130余りの石窟がある
北魏代の石窟
須弥山の開創期にあたる北魏のものは子孫宮の断崖上にある。第14、24、32窟がここに残る。この代の石窟は方形を成し中心塔柱窟である。塔柱は三層ないし七層をなし各層の四面に開龕された龕に仏が彫られているとのことである。
現在子孫宮には道教が奉られ岩山は色鮮やかな旗が風になびいている。
唐代の石窟
唐代のものは大仏楼、相国寺、桃花洞の三区に分布する。現存するものは第1、5、54、62、69、72、79、80、89、105などである。
北周代の石窟
唐代より溯る北周代が最も盛んに石窟が造られた。これらの窟は須弥山の中部にある円光寺、相国寺に分布し、主要な窟は第45、46、48、5167、70窟である。
北周代の石窟は規模が大きく仏像のできも精細である。
須弥石窟では大仏楼のお釈迦様、相国寺の三世座仏と弥勒菩薩像、円光寺の仏像群が目に留まった。しかしこれらの仏像は後代の修復で元の風格は失われいるものであるが、修復することで今日まで残っていることにそのことの意義を見出したい。また、北魏の窟は見られなかったのが少々残念であった。
中国語名:
须弥山石窟(xū mí shān shí kū)
中国語名の読み方:
シュイ ミー シャン シー クー
英語名:
Xumishan Grottos

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