嵩山少林寺

中国の少林寺の寺院は十箇所がある。
嵩山少林〔河南登封〕、和林少林〔内モンゴル〕、薊県少林〔河北省〕、長安少林〔陝西〕、太原少林〔山西〕、洛陽少林〔河南〕、泉州少林〔福建〕、福州少林〔福建〕、山東少林、台湾少林。
嵩山少林寺は寺院は一番多くて、少林カンフー、塔林は中国でも一番有名である。
嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)は、中国の河南省鄭州市登封にある中岳嵩山の中の少室山の北麓にある寺である。インドから中国に渡来した達磨による禅の発祥の地と伝えられ、中国禅の名刹である。また少林武術の中心地としても世界的に有名。なお、しばしば誤解されるが、少林寺拳法は日本で創始されたものであり、現在の嵩山少林寺の武術とは別物である。
伽藍は壮麗な七堂伽藍であり、北西には初祖庵、南西には二祖庵があり、五乳峰中には達磨洞がある。
前身は北周代に洛陽城内に宣帝が創建した陟岵寺。隋の文帝代に、勅によって寺名を少林寺と改める。
『魏書』巻114「釈老志」によれば、その創建は、496年(太和20年)で、孝文帝が西域沙門の仏陀禅師(釈老志では跋陀、仏陀は『続高僧伝』巻16の表記による)の住寺として、少室山陰に建立したとされる。

その後禅宗では、唐代の『伝法宝紀』の時代になって初めて、菩提達磨がこの寺で面壁九年に及び、慧可が師の面前で断臂した寺であると伝承されるに至り、『宝林伝』以後の燈史が、それを踏襲する。
唐朝の創業期には、洛陽を本拠とした王世充の鄭国政権を見限り、唐の李世民(後の太宗)軍に対して自坊の僧兵たちを援軍として出すことで助力し、鄭の征討に貢献した。寺内には、「皇唐嵩岳少林寺碑」、「唐太宗御書碑」が残る。
1928年に、軍閥混戦の最中に隋末以降最大の大火があり、天王殿、大雄殿、法堂、鐘楼、鼓楼、客堂、庫房、香積厨、東西禅堂、緊那羅殿、六祖堂、閻王殿、龍王殿などの寺の主要建造物が燃えてしまった。また、寺に収蔵されていた明代の銅版経典、「少林寺志」の木版、魏代に作られた仏像や碑、および達磨面壁影石と仏堂に陳列されていた儀杖も全部焼失した。最近、天王殿、緊那羅殿、東西禅堂と僧院は復元された。

嵩山少林寺の僧侶の世代の順序
福、慧、智、子、覚,了、本、圓、可、悟。   
周、洪、普、広、宗,道、慶、同、玄、祖。   
清、静、真、如、海,湛、寂、淳、貞、素。   
徳、行、永、延、恒,妙、体、常、堅、固,
心、郎、照、幽、深,性、明、鑑、崇、詐。   
忠、正、善、禧、祥,謹、恋、願、済、度。
雪、庭、為、尋、師,引、汝、帰、銘、路。  
中国語名:
嵩山少林寺(shān shǎo lín sì)
中国語名の読み方:
ソン シャン シャオ リン スー
英語名:
Songshan
注意事項:
嵩山少林寺遊覧の注意事項 ①呼び方:お寺の僧侶には“師”或い“法師”と呼んでいる、住持僧侶には“長老”或い“方丈”又“禅師”と呼んでいる、ラマ僧には“和尚”或いは“ラマ”、つまり“上師”の意味である。“出家人”と忌み嫌う。間違えると失礼だそう。 ②僧侶と会う時:両手合掌、或いは一手は胸の前に立て、少々俯き、というのは正しい敬礼である。  握手、抱擁、僧侶の頭触るのはだめである。 ③お話:僧侶とお話の時は殺害、婚姻、お肉など食べることを避ける。 ④挙動:お寺の中に大声で喋る、建築や施設などにわがままに話題にする。わがまま寺院内の建築、仏像などを触る。などを忌み嫌う。

嵩山少林寺の写真

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