茂陵
武帝劉徹(前156-前87)は漢の第五代皇帝である。紀元前141年、16歳で即位し、紀元前87年、70歳で亡くなった。彼が在位した54年間、政治、軍事、経済などいろいろな分野にわたって効果的な措置を実行し、北方の匈奴を追い払い、河西回廊を確保し、漢民族の国の繁栄をもたらした。そして紀元前138年には張騫を遣わしてシルクロードを開通させた。これは中国と中央アジア諸国との経済、文化の交流にとって画期的な出来事であった。茂陵は西安から約45キロの渭北高原の興平原に位置する。前漢の皇帝陵の中で最大で、造営の期間も長く、武帝の即位から53年もの長い期間をかけている。陵墓の高さ47m、陵の周囲は916mで、敷地の面積は5400平方mある。陵は錐形をしていて、厳やかな安定感が感じられる。歴史の記録によると、陵墓には外国から送られた玉の箱、玉の杖や武帝が生前に愛読していた本など、いろいろな宝物が入れられたとされている。陵墓には一体どのくらいの宝物があったのかは今となっては不明であるが、当時毎年国の租税の三分の一が墓造りや副葬品の買い入れに用いられていたという記録がある。茂陵のまわりには約20の陪塚が点在している。これらの陪塚は方形、円形、山形の三種類に分けられ、李夫人、衛青、霍去病、霍光などの皇族や功績のあった大臣の墓がある。茂陵を管理するために、当時陵令、門吏などの官職が設けてあって約5000人の雑役夫が樹木、草花などに水をやり、掃除をしていた。当時、漢代の埋葬制度に従って、茂陵の東南の辺りに町を造った。「漢書」の記録によると、おびただしい文官、武官、貴族が相次いでここに移住し始め、町の人口は28万人になった。現在でもこの付近には幾何学模様と青龍、白虎、朱雀、玄武のついた芸術的に高い価値がある「空洞煉瓦」などが出土されているが、昔の建物はひとつも発見されていない。
中国語名:
茂陵(mào líng)中国語名の読み方:
マオ リン英語名:
The Maoling Mausoleum
茂陵の写真
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