霊谷寺

霊谷寺(れいこくじ)は中国南京市の東、中山門外にあり、紫金山の南麓に位置し、中山陵の東1.5kmの霊谷寺公園内にある寺である。または、大霊谷寺。
南朝の梁の時代、武帝の天監13年(514年)に、独龍阜の玩珠峰の麓に創建された。これは、現在の明孝陵の位置に当たる。また、その造立の目的は、この寺に武帝が尊崇した宝誌和尚を葬るためであった。開創当初の寺名は、開善寺であった。唐の乾符中(874年 - 879年)に寺名を宝公院と改め、北宋初の太平興国5年(980年)には太平興国寺と改められた。明代初期には蒋山寺と呼ばれていた。朱元璋が独龍阜を自らの陵墓の地に選び、よって当寺を現在地に移転し、霊谷禅寺の寺額を賜った。
清初には、兵火に遭って大打撃を受けたが、次第に復興を果たした。康熙帝や乾隆帝がしばしば行幸し、当寺に逗留した。しかし、咸豊年間(1851年 - 1860年)には、再び南京に拠った太平天国の兵火を浴び、乱の平定後には無量殿以外の伽藍は廃墟となってしまった。その後、曽国藩らの手によって次第に復興を果たし、明代の霊谷寺の威容を取り戻した。
中華民国時代の1928年には、民国政府によって国民革命軍陣亡将士公墓が建設された。1949年の中華人民共和国成立以後に霊谷寺公園に改められた。
中国語名:
灵谷寺(líng gǔ sì)
中国語名の読み方:
リン グゥ スー
英語名:
Linggu Temple

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