綏遠城将軍衙署

呼和浩特市の新城西路北側に位置して、清政府は西北の国境を強固して、南北モンゴル地方の政治、軍事の統治するために綏遠城将軍衙署を設立した。雍正十三年(1735年)、清政府は帰化城(現在の呼和浩特市の旧城)の東北5キロのところには軍隊の駐在した役所として使い、淸・乾隆年間に清の綏遠将軍が駐在した役所で(「八旗」軍駐屯地として建設された)「綏遠城」に、 このエリア一帯の地方長官・総督的存在「綏遠將(将)軍」が置かれた。乾隆二年建て始め、乾隆四年(1739年)竣工、清政府に“綏遠城”と賜名されました。解放の後、綏遠城将軍衙署は省人民政府の臨時所在地となっていった。2006年5月25日綏遠城将軍衙署と綏遠城城壁は全国重点文物保護単位と登録された。
綏遠城将軍衙署は綏遠城の満、モンゴル、漢の八旗軍隊駐在と西北軍事、政治などの強固する最高権力機構である。綏遠城将軍衙署の綏遠城将軍は“建威将軍”は綏遠城の駐在する八旗兵を統領する以外は内モンゴル西二盟(伊克昭盟、烏蘭察布盟)旗のモンゴル王公、民衆を管理し、一旦戦争が発生すれば、宣化、大同二鎮(総兵)の調遣が行え、綏遠将軍は清の朝廷の一品封疆大吏である。
中国語名:
绥远城将军衙署(suí yuǎn chéng jiāng jūn yá shǔ)
中国語名の読み方:
スイ ユェン チョン ジャン ジュン ヤー シュウ
英語名:
Suiyuanchengjiangjunyashu

綏遠城将軍衙署の写真

綏遠城将軍衙署についてのお問い合わせ
綏遠城将軍衙署についてのご質問をどうぞ、24時間以内返信します、見積もりは何回も無料!
についてのお問い合わせ