石窟寺

石窟寺は、北魏時代創建のお寺である。
南北朝の時代、北魏(ほくぎ)の孝文(こうぶん)帝は、都を現在の山西省大同(だいどう)から洛陽に移したため、こんなところにも、北方文化の石窟が開削された。
石窟の規模は、山西省の世界遺産雲崗(うんこう)石窟と比べれば、遥かに小さいが、仏像からは、北魏文化の趣が十分伝わっている。  
石窟寺のそばを流れる伊洛川が黄河と合流する地点は、ちょっとした観光スポットになっている。上流に橋が架かっているが、それ以外に人手のかかったものはとても少ないところで、自然のままの黄河が、滔滔と流れている。
中国語名:
石窟寺(shí kū sì)
中国語名の読み方:
シー クー スー
英語名:
Shikusi
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