曹操墓(高陵)

安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」については三国時代に活躍した曹操(155-220年)の墓だと判定されているけど中国では「異論」が続いている。

まず、河南省文物局が「曹操の墓」と断定した最大の決め手と説明した「魏武王」の文字が刻まれた石板だ。曹操が漢の献帝により「魏武王」に封じられたことは事実だが、埋葬との微妙な前後関係で疑問が残るという。歴史書によると曹操が葬られたのは2月。「魏武王」の称号を得たのが2月以前ならば問題ないが、埋葬後に称号を得たならば、「石板」の文字は意味をなさないことになる。
墓の総面積は740平方メートル。前後に2つの大きな墓室と4つの副室があり、最も深いところは地表から15メートル。金や銀の器や、鉄剣、水晶珠など約250点の副葬品があり、曹操の遺骨のほか、2人の女性の遺骨も見つかったという。

中国の「三国志」に登場する武将で、魏の始祖となった曹操(155~220年)の陵墓が発見されたことがわかった。河南省安陽県にある後漢時代の陵墓が、曹操の陵墓だと断定されたと、河南省文物局が27日に発表したそうだ。墓から60歳前後とみられる男性の遺骨が見つかり、中国の考古学者や歴史学者らが鑑定した結果、曹操本人のものと断定した。
中国語名:
曹操墓(cáo cāo mù)
中国語名の読み方:
ツァオ ツァオ ムゥ
英語名:
Caocaomu

曹操墓(高陵)の写真

曹操墓(高陵)についてのお問い合わせ
曹操墓(高陵)についてのご質問をどうぞ、24時間以内返信します、見積もりは何回も無料!
についてのお問い合わせ