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九門口水上長城

投稿時間:2012年10月閲覧数:
『綏中九門口水上長城』2002年9月世界文化遺産登録、万里の長城の重要な組成部分とする。北斉(西暦479~502年)建て、明1381年増築し、全長1704M、中国万里の長城で唯一つの水上長城である。

 

『綏中九門口水上長城』2002年9月世界文化遺産登録、万里の長城の重要な組成部分とする。北斉(西暦479~502年)建て、明1381年増築し、全長1704M、中国万里の長城で唯一つの水上長城である。9つの水門で万里の長城の中で独特なものである。城の橋の長さは97.4メートル、その後、戦乱を何度も経て、明朝の洪武十四年に大幅に再建を行った。ここの数年、考古発掘によれば、鉄炮、石炮、陶器などを出土して、明代軍事防衛と軍人の駐守した状況がわかれる。明代の李自成大順軍と清軍の“一片石戦役”はここであった。それはここの川が浅く、騎馬の軍勢が容易に侵入できるため、これを防ぎ、都を防衛する必要があったため,水上に長城が建てられたという。

「九門口長城」には実は「秘密のトンネル」が掘られ、現在も残っている。長城の内側にある練兵場から関所を通らずに長城の外側にある山の中に出られる全長1027メートルのトンネルである。トンネル内には大小29の洞があり、食糧庫、弾薬庫、兵器庫、井戸などがあり、2000人以上の兵士が密かに暮らすことができる。

明末、李自成に率いられた農民武装蜂起が起こった。北京が陥落し、崇禎帝は自殺して明王朝は滅亡した。このとき、北方の清軍と対峙し、山海関一帯を守っていた明の総兵、呉三桂は、いったんは李自成軍に降ったが、李軍の将の劉宗敏が愛妾を強奪したことに激怒して反乱を決意、清軍をトンネルに引き入れたという。清軍はトンネルを通って突如、李自成軍の後方に出現し、これを挟み撃ちにした。このため李自成軍は大敗し、清軍は一挙に北京に進攻し、占領した。これが「一片石の大戦」である。「九門口長城」をめぐる戦いは、明王朝の滅亡につながった。

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