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五女山、五女山山城

桓仁満州族自治県桓仁鎮の北側より8キロメートル離れるところに位置して、城の東、南、西の3方向に城門を備えています。高句麗民族の開国であった城で、高句麗民族文明の発祥地です。伝説によればここには5名の御姫が軍隊をその頂点に駐屯させたために、その名づけられました。2006年高句麗の王城の一つとしては桓仁五女山山城と吉林省集安市の高句麗遺跡は世界遺産に登録されました。
五女山主峰海抜824M、南北1500M、幅300M、垂直高さ200M以上。近年、考古学者は五女山で古代遺跡と遺物を発見し、年代が一番早いのは新石器時代後期の陶器、今まで4500年の歴史を持ち、これは4500年の前にはここで人類の活動、生活などを証明できます。遺物の中には戦国後期の石造りの剣、石造りのノミ、陶製の壷、遼金時期の生活、生産道具と兵器などもあります。
五女山の山城(五女山山城)は3ヶ所で、城の中心部には、長さ12m・幅5m・深さ1.5m前後の生活用水用貯水池があります。多くの半地下式兵営や、歩哨所などの軍事施設の遺跡が残って、山城の建築には、中国北方民族の伝統的な山城建築の要素を受け継ぎながら、使う材料や配置、築城には山に沿って建てられるなど、高句麗の特徴が多く見られます。
 紀元37年、北夫余王子の朱蒙は宮殿の戦いに負けて、五女山に亡命して、五女山には高句麗の第一の王城を建て、明永楽22年(紀元1424年)建州女真族三代のリーダーである李満柱は軍隊を遼寧に率いて、駐兵しました。そのために、五女山も満族文明の発祥地です。
 史上に纥昇古城(hé shēng gǔ chéng)、合羅城、五滝山、五老山、郁霊山、于郎山、五余山などの名づけがありました。
中国語名:
五女山山城(wǔ nǚ shān shān chéng)
中国語名の読み方:
ウー ニュ シャン シャン チョン
英語名:
Wunvshan

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