白鹿洞

宋代の最高学府の一つ白鹿洞書院
崇陽書院、岳麓書院、応天書院と一緒に中国4大書院の一つで数えられる所である。
940年唐の時代に李渤がその兄さんである李渉と一緒にこちらに隠居して読書をして学問に専念したが隠居中に白い鹿すなわち白鹿を育てたがこの鹿が尋常ではなく10里外の市内に出て主人が要する書籍と文房四友を求めて買って来るほどに才知が鋭くさとかったから人々が李渤を白鹿先生と呼んでその居所を白鹿洞と呼ぶようになったと言う。
五代十国時代に書院の前身である慮山国学が設立され宋代に地方子弟を教育する書院になった。そして南宋時期に至って朱熹が復興させて名声をふるうようになった。
白鹿洞書院の内の名所
思賢台
一番高い所に位した樓閣で下の洞窟に白鹿像がある。
丹桂亭
朱熹寺堂前にある亭子で中央に(紫陽手稙丹桂)という字がある。紫陽は朱熹の号である。
明倫堂
書院内で学生たちを教えた場所で明倫堂という名板は朱熹の親筆だ。 この中に書院の規定が書かれていて書院を通じて合格した人物が記録されている。
文会堂
(以文会友)文を通じて友と付き合うという論語の句節から取った名前で現在も学者たちの間の交流の場所で使われる
中国語名:
白鹿洞(bái lù dòng)
中国語名の読み方:
バイ ル ドン
英語名:
Bailudong Cave
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