鞏県石窟寺

北魏時代に開削されたとされている。その理由として、第一、三、四窟の入り口の左右に皇帝と皇后に比定されている礼仏図が彫刻されている点が指摘されている。しかし、竜門石窟には中心柱窟が一つもないのに、ここでは第五窟を除いてすべてに中心柱が築かれている。
洛河と黄河に挟まれた鞏義市から9kmほど離れた東北の郊外にある。520年前後から北魏末の534年前後にかけて、5窟が造営された。当初は「希玄寺」と呼ばれたが、宋代は「大力山十方浄土禅寺」、明代は「十方浄土禅寺」と名称が変わり、清代になって「石窟寺」と呼ばれるようになったという
1500年という長い歳月の間に大部分が破壊されてしまった。5窟の中で最大のものは、第一窟で、間口、奥行きとも6.5m、高さ6mを測る。第二窟と第三窟の間には、幅27mの岸壁があり、そこに写真などでお馴染みの三尊仏が彫刻されている。この他に、小さい仏像は1000点ほど、彫像276点、石刻7759点が現在保存されている。
中国語名:
巩县石窟寺(巩义)(gǒng xiàn shí kū sì gǒng yì)
中国語名の読み方:
ゴン シェン シー クー スー ゴン イー
英語名:
Gongxian Buddhist Caves
鞏県石窟寺についてのお問い合わせ
鞏県石窟寺についてのご質問をどうぞ、24時間以内返信します、見積もりは何回も無料!
についてのお問い合わせ